雑節
こよみにまつわる用語の説明
雑節
いつのころか、二十四節気、五節句のほかに、一年間の季節の移り変わりをつかむ補助的な意味あいで、特別な暦日が暦に設けられるようになりました。
これを雑節といいます。
雑節は、日本人の長い生活体験から生まれたもので、主に農作業に照らしあわせてつくられています。
古くから日本人の生活のなかに溶込み、年中行事、民族行事となっているものが少なくありません。
節分(せつぶん)
大寒より一五日目、立春の前日で、二月三日、四日にあたります。
気候が冬から春になるということで、この日は一年の最後と考えられ、邪気をはらい、幸せを願ういろいろな行事が行われてきました。
豆まきをして鬼を追い出す風習は、現在でも続いています。
彼岸(ひがん)
春分、秋分の日をはさんで前後三日ずつ、計七日の間を彼岸といいます。
彼岸の初めの日を彼岸の入り、終わりの日を彼岸の明けといいます。
彼岸は日本独特のもので、仏事や墓まいりの習慣が続いています。
彼岸とは梵語の波羅密多の訳で「到彼岸」を略したもので「ねはんの世界に到達する」の意味であります。
社日(しゃにち)
一年に二回あり、春分と秋分に最も近い戌の日です。
この日、土の神を祭り、春には五穀の種を供えて豊作を祈り、秋は収穫のお礼まいりをします。
八十八夜(はちじゅうはちや)
立春から数えて八十八日目で、五月二日頃にあたります。
この時期は遅霜の時期で、種まき、茶摘み、養蚕などに忙しい農家にとって、この遅霜がもっともこわく、注意を喚起するために、暦に記載されたものであります。
入梅(にゅうばい)
気象上では太陽が黄経八〇度に達した日を入梅としていますが、実際は梅雨とは直
接の関係はありません。
梅雨の語源であるが、梅の実が熟する頃に雨期に入るところからきているといわれ、この頃に湿度が高く、諸物にカビが生じやすくなるところから、「ばい雨」といわれ、これが梅雨になったともいわれます。
半夏生(はんげしょう)
太陽が黄経100度に達したときで、夏至から十一日目にあたります。
梅雨の終期で、農家の人たちは、この日までに田植えをすませ、どんな気候不順の年でも、半夏生のあとは田植えをしない習慣がありました。
八十八夜とともに、江戸時代の農民にとって重要な暦注の一つでありました。
半夏とは「からすびしゃく」という多年草の毒草のことで、半夏生とは、それが
生える時期ということになります。
土用(どよう)
立夏の前の十八、十九日間で、この間に暑中見舞を出したり、土用の丑の日にうなぎを食べたりする習慣が残っています。
二百十日(にひゃくとうか)
立春から数えて二百十日目で新暦で九月一、二日頃です。
この時期は稲の開花期にあたり、台風の襲来を警戒すべき日として、暦に記載されています。
二百二十日(にひゃくはつか)
立春より数えて二百二日目をいい、二百十日と同じ意味をもちますが、統計的にも、二百十日以降の、九月下旬にかけて台風が襲来することが多く、むしろ二百二十日を警戒する必要があるでしょう。
初午(はつうま)
二月の最初の午の日で、この日は各地の稲荷神社で祭礼が行われます。
もともと、稲荷は稲生の意味であるとされ、、五穀をつかさどる農業神でありました。
それが後世、商工業・漁業の神にもなっていくのであります。
孟蘭盆(うらぼん)
旧暦七月十五日を中心に行われる先祖の霊をまつる行事で、俗にいうおぼんのことです。
孟蘭盆とは梵語で倒懸になっているのを救うという意味です。
七月十三日から十六日がお盆で、祖先、父母の恩を謝し、種々の食物を死者の霊に供えてお経をあげ、冥福を祈って倒懸の苦しみからのがれられるように祈ります。
中元(ちゅうげん)
七月十五日の佳節で、もともと半年生存の無事を祝し、孟蘭盆の行事を行い、亡霊
に供養することをさしていました。
現在では、もっぱら中元の時期の贈物をさします。
上元(じょうげん)
正月十五日をいいます。
三元の行事は道教からきていますが、昔から中国ではこの日、元宵節、元夕などといって、この日を中心に色とりどりの灯籠をともして夜祭が行われました。
また、この日小豆粥を食すれば、その一年の疫をさけるとされました。
下元(かげん)
陰暦十月十五日をいいます。
日本の民間行事には下元と称するものはありませんが、この下元の日を中心に、十日夜、亥の子などの行事が数多くあることから、古く中国から伝わった下元が収穫祭と結びついて広まったのではないかといわれています。
大祓(おおはらえ)
六月と十二月末日に行われる祓の行事で、人々の犯した罪や穢れを除き去るために行
われます。
六月を夏越の祓、十二月を年越の祓といいます。
現在では宮中・全国各神社でとり行われています。